【怖さレベル2:ゾクッ】ふと「ゾクッ」とする場面もありながら、初心者でも大丈夫!
新居を探すカップルがとある不動産会社に紹介されたのは、魅力的な、しかしどこか奇妙な住宅地でした……。
ある日突然、不動産屋に紹介された住宅地から抜け出せなくなった男女の、不安が増長していくさまを描いた映画『ビバリウム』。
直接的な衝撃・恐怖表現を使わずに不安感をあおってくるその作風は、現代社会の閉塞感や理想の家庭生活の歪みを象徴しているかのような物語。「ホラーの帝王」と呼ばれる作家スティーブン・キングが、「驚かされた!上質で奇妙だ!」とTwitterで絶賛したことで大きな話題になりました。
【概要】

新居を探すカップルが不動産屋に紹介された全く同じ家が並ぶ奇妙な住宅地から抜け出せなくなり、さらに誰の子か分からない赤ん坊の育児を強いられ、精神が崩壊していくさまを描いたラビリンス・スリラー。
メインキャストを務めるのは『ソーシャル・ネットワーク』『サスカッチ・サンセット』『ゾンビランド』のジェシー・アイゼンバーグと『グリーンルーム』『バーバラと心の巨人』『ブラック・クリスマス』のイモージェン・プーツ。二人は同年のサスペンスコメディー『恐怖のセンセイ』でも共演を果たしています。
本作は第52回シッチェス・カタロニア国際映画祭に出品され、プーツが最優秀女優賞を受賞しました。
原題:Vivarium
監督:ロルカン・フィネガン
出演:
イモージェン・プーツ、ジェシー・アイゼンバーグ、ジョナサン・アリスほか
配給:パルコ
【あらすじ】
互いの愛をはぐくみ、新居を探すトムとジェマ。彼らはある日足を踏み入れた不動産屋で、全く同じ家が建ち並ぶ住宅地「Yonder」を紹介されます。
やたらと愛想のいい不動産屋の担当マーティンの様子に気が進まないまま内見を終えて帰ろうとすると、マーティンの姿が見当たりません。そのすきに帰路につこうと車を走らせる二人でしたが、周囲の景色は一向に変わらず住宅地から抜け出すことができません。
戸惑う彼らのもとに、一晩明けたところに段ボール箱が届きます。
中には一人の赤ん坊が。一緒についていたメモに従い二人は訳も分からないまま世話をすることになりますが、訳も分からずこの住宅に住み、二人は精神的に追い詰められ……。
【『ビバリウム』の感想・評価】
1.【戦慄分析】 直接的な恐怖は皆無、しかし要注意
当サイトによる怖さレベル:LV.2(初心者対応)

グロテスクなビジュアル/流血:0(超初心者でも安心)
音響による不快感・ノイズ:あり(強)
演出分析:「絶望的な救いのなさ」と「安定の中にある不安」の構造

本作はグロやジャンプスケアが「0 / 5」であり、ホラーが苦手な方でも安心して鑑賞できる知的考察対象です。しかし、ディストピア・絶望度は4 / 5と非常に高く、鑑賞後の精神的疲労は中程度です。
物理的な恐怖はありませんが、「普通の幸せ」が永遠に続く救いのない地獄へと反転する冷酷な結末は、現代社会の閉塞感と深く共鳴します。
「考察は楽しみたいが、鑑賞後に深く落ち込みたくない」という方は、この絶望度を考慮してご覧ください。
2.【作品の批評】静かに侵食する異色の物語

本作は観客を驚かせるのではなく「気づいたら逃げ場がなくなっている」感覚を、徹底して持続させる構成が特徴です。
舞台となるのは、どこまでも同じ形の家が並ぶ郊外の住宅街。そこに迷い込んだ一組のカップルが、理由も分からないままその場所に閉じ込められます。
物語の進行は決して派手ではありません。しかし同じ風景、同じ色調、同じ日常が反復されることで、観る側の感覚が徐々に麻痺し、不安が増幅していきます。

映像は一見するとパステル調で整っており、現実離れした特撮的誇張もありません。そのため、この異常な状況が「現実と地続き」であるかのように感じられます。セットとCGの境界が曖昧なほどのシンプルさが、強烈な違和感となって観る者を侵食します。
また、不動産屋のマーティン、そしてカップルに与えられる子供の存在も強烈です。
彼らは明らかに人間らしさを欠いていますが、説明的な演出はほとんどありません。その無機質さが、この住宅街全体を覆う不気味さと結びつき、観客に解釈の余地を残します。
演出の一貫性とあくまでシンプルさにこだわった構成によって、本作は非常に独自性の高いストーリーとして成立しています。
3.【深掘り考察】中流意識への冷酷な視線が描く「普通の家庭」にある恐怖

『ビバリウム』が描く恐怖の核心は、「家の購入」と「子育て」という二つの要素に集約されます。
これはつまり、「普通の家庭を築く」という、中流的な幸福像そのものです。日本では高度経済成長期以降、「中流意識」という言葉が広く共有されてきましたが、本作を観ていると、西洋圏にも同様の価値観が深く根付いていることが浮かび上がってきます。
この映画で不可解な出来事に巻き込まれるカップルは、俯瞰で見ると、家を与えられ、子供を授かり、外界から隔絶された生活を手に入れています。
それは多くの人が「幸せ」と定義する条件を満たしている状態です。彼ら自身は不安と恐怖に苛まれていますが、その幸福が棚ぼた的に与えられたものであっても、人は意外とその恩恵を受け入れてしまうのではないか、という問いが突きつけられます。

外界との接触が断たれる状況も、一見すると地獄のようですが、「人付き合いや社会との摩擦が面倒だ」という感覚を前提にすれば、それすらも快適な隔離と見なせてしまう危うさがあります。
近年の移住ブームや、静かな場所での生活への憧れを思い起こすと、この設定は決して極端な空想ではありません。本作は、現代のステレオタイプな幸福の光景を、そのまま恐怖として反転させています。
作中での二人の過ごし方も象徴的です。トムは庭に現れた異変に取り憑かれ、理由も分からぬまま穴を掘り続けます。その行為は労働や使命感にも似ていますが、最終的には文字通り「自分の墓穴を掘る」結果になります。
一方のジェスは家に閉じこもり、子供とトムの間で不安定な日々を送ります。彼女は「あなたのママじゃない」と言い続けながらも、子育ての責務から逃れられません。
これは、中流家庭が抱える歪みや役割の押し付けを、極端な形で可視化しているともいえます。

視点を変えると、画面に映っているのは決して異常な光景ではありません。家があり、庭があり、子供がいる。ただそれだけです。しかし観客は次第に「普通が怖い」と感じ始めます。その『普通が怖い』という感覚こそが、本作が現代の観客に突きつける冷酷な真骨頂です。
特に印象的なのは、二人が知らぬ間にこの家に住むことが決まっていたと悟る場面です。
冷蔵庫にあったイチゴを口にしたトムが「味がしない」と呟く瞬間は、一般的に与えられる「普通の幸せ」の空虚さを象徴しているようにも見えます。形は整っているのに、実感がない。その違和感が、作品全体を貫く恐怖へとつながっています。
『ビバリウム』は、怪物や幽霊を描かずに、「ほどほどに幸せなら問題ない」という中流意識そのものを疑問に付す映画です。
何でもない日常の中に潜む危機を、これほど静かに、しかし執拗に描いた物語は稀有だといえるでしょう。
【次回の深掘り考察】
次は、続編の話題で注目を集めるスリラー 『FALL』 を深掘りします。
なぜ人間は「高さ」に絶望するのか? 高所恐怖症の科学的側面と、極限状況下で試される人間の精神を考察します。
引き続き当サイトならではの独自考察にご期待ください!


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