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【公開前レビュー】『禍禍女』(Lv.4)『禍禍女』がもたらす認知的不協和――ゆりやんレトリィバァというエネルギー体
怖さレベル4:要注意

【怖さレベル4:注意】「怖さ」がかなり具体的なレベル。ホラーが苦手な人は「要注意」!


お笑い芸人のゆりやんレトリィバァが映画に初挑戦し作り上げたスリラー『禍禍女(まがまがおんな)』

タイトルの「禍(か、わざわい、まが)」という言葉には、もともと「よろこばしくない事柄、不幸を引き起こす原因、災難」などの意味が含まれています。この言葉からは、2020年以降、世界中で蔓延した新型コロナウイルスの「コロナ禍」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

本作は、世界三大ファンタスティック映画祭の一つ「シッチェス・カタロニア国際映画祭」をはじめ、数々の映画祭に出品され、特に「2025年・第62回台北金馬映画祭」では日本人監督として初のNETPAC賞を受賞するなど、国内外で大きな注目を集めました。

物語の冒頭に現れるのは、日本の都市伝説「口裂け女」を彷彿とさせるような存在。その不気味な序章からは、ストレートなホラー展開が期待されます。

しかし、そこで待っているのは、今、多方面でクリエイターとして才能を発揮するゆりやん監督ならではのセンスが光る作品。観る者は「私は何を見させられているのか?」という疑問に引き込まれ、強烈なエネルギーに引きずり込まれながら、見終わった後には放心状態に陥ること間違いありません。

今回は、この物語に埋め込まれた不思議かつ強烈なエネルギーの源泉を深掘りしていきます。


『禍禍女』概要

【作品内容】

(C)K2P

Netflixドラマ「極悪女王」でも話題を呼んだゆりやんレトリィバァが、「好きになられたら終わり」という「禍禍女(まがまがおんな)」を題材として自身のこれまでの恋愛を投影しながら描き出したサスペンス。ゆりやん監督は今作で映画監督に初挑戦しました。

主演を務めたのは『愛されなくても別に』の南沙良。さらに共演には『ベートーヴェン捏造』の前田旺志郎、『PERFECT DAYS』への出演経験もあるパフォーミングアーティストのアオイヤマダ、『ベイビーわるきゅーれ』シリーズの髙石あかり、お笑い芸人の九条ジョー、数々のドラマや映画に出演する鈴木福ら若手の実力派が名を連ねます。

一方で「極悪女王」でゆりやん監督と共演した斎藤工、『幼な子われらに生まれ』などの田中麗奈ら豪華俳優陣が脇を固めます。さらに日本ホラー界の重鎮、清水崇監督や「極悪女王」つながりの唐田えりか、白石和彌監督、芸人・怪談師の好井まさおらがカメオ出演を果たしているなど、バラエティに富んだ布陣となっています。

脚本は『ミスミソウ』『許された子どもたち』などで監督・脚本を手掛けた内藤瑛亮。一方で作詞・作曲家で音楽プロデューサーのyonkeyが初めて実写映画の音楽を担当しています。

英題:Mag Mag

監督:ゆりやんレトリィバァ

出演:
南沙良、前田旺志郎、アオイヤマダ、髙石あかり、九条ジョー、鈴木福、前原瑞樹、水島麻理奈、本島純政、平田敦子、平原テツ、斎藤工、田中麗奈ほか

配給:K2 Pictures

公式サイト

日本劇場公開日:2026年年2月6日より全国公開

【あらすじ】

とある美術大学。女子大生の早苗(南沙良)は、上半身を露わに煙草をくゆらす同級生の宏(前田旺志郎)に一目惚れをします。

その純粋な「好き」という感情は、次第に「大大大好き」へと異質に膨れ上がり、やがて狂気を帯びた執着へと変質していきます。

時を同じくして、巷では「スキになられたら、オワリ。」という不気味な噂が流れていました。

一度好かれたら死ぬまで逃れられないという謎の存在「禍禍女(まがまがおんな)」。宏の周囲に取りついているかのようにふと現れるその影に興味を抱いた早苗は、好奇心からその謎に迫ろうと試みます。

しかしそこには、妄想と現実が入り混じる混沌とした「地獄」が待ち構えてていたのでした…。


【レポート】映画『禍禍女』外国特派員協会 記者会見レポート

1月29日、外国特派員協会にて、映画『禍禍女』の記者会見が行われ、本作を手掛けたゆりやんレトリィバァ監督高橋大典プロデューサーが登壇しました。(高橋プロデューサーの“高”は「はしごだか」が正式表記)

上映後、ゆりやん監督は流暢な英語であいさつ。「本日はありがとうございます。私はゆりやんレトリィバァです。『禍禍女』を監督しました」と自己紹介、続けて「普段はコメディアンや俳優、ラッパーとして活動していますが、メインは弁護士です。法廷でお会いしましょう」などと冗談を交え、会場の空気を一気に和ませます。

本作について「犠牲者がすべて男性である理由」を問われると、「私自身の実体験のラブストーリーがベースです。だからこれは復讐劇」と率直に説明する一方、「完成した作品を見て、間違っていたのは自分だったと気づいた」ともコメント、笑いを誘います。

ホラー表現については、「非常に緻密な計算と分析をもとに……作っていません!」と即答、その意外な切り返しに会場は大爆笑が沸き上がります。

続けて「映画学校で学んだわけではなく、自身の感覚や過去に観た映画の影響をもとに、高橋プロデューサー、脚本の内藤瑛亮と意見を出し合いながら脚本を練り上げた」といい、北軽井沢での脚本合宿では、「どうしたらもっと怖くなるか」を1ページずつ詰めていったと、その製作過程を明かします。

一方、作中で印象的にも見える「恋愛における内面のドロドロした感情」について問われると、「自分の中ではピュアな気持ちのつもりでも、周りから見るとホラーになってしまう」とコメント、現在は“執着を手放す訓練”としてダンスに打ち込んでいるというエピソードも披露します。

また高橋プロデューサーは、「第1弾作品として非常に力強い映画になった」と語りながら「ゆりやんらしさ――“ゆりやん汁”を爆発させることが重要だった」と制作を振り返り、合わせてJホラーを軸にした海外展開への意欲も宣言。終始サービス精神あふれるやりとりと笑いに包まれた会見は作品同様、混沌とエネルギーに満ちた時間となりました。


【『禍』の感想・評価】

【戦慄分析】ショック/グロの奥に見える「笑い」がもたらす恐怖

当サイトによる怖さレベル:LV.4(インパクトは強いので注意)
図:映画『禍禍女』「怖さ」レーダーチャート

グロテスクなビジュアル:中上程度(全般にダークで強烈、ホラー表現に慣れていない人は要注意)

音響による不快感・ノイズ:あり(中)

演出分析:恐怖と笑いが生む「認知的不協和」
(C)K2P 恐怖と笑いの境界を曖昧にし、観客の感情処理をマヒさせるノイズ演出

 本作は「ショック描写」や「ゴア表現」の強烈さだけに注視すれば、極めて攻撃的なホラー映画という形に見えるでしょう。

しかし本作が観客に与える不安は、単なる残酷表現の積み重ねというものではありません。

インパクトのある恐怖表現と同時に差し込まれるチープな笑いやポップな演出が、観る側の感情処理を意図的に狂わせていく点にこそ、本作の戦慄があるといえます。

一般的にコミカルな演出は緊張を緩和するために用いられますが、本作ではその「安っぽさ」自体が、怪異の異質さを強調する「ノイズ」のようなものとして機能します。

これは「恐怖と笑いが交互に訪れる」というよりは「脳が同時に処理できない情報の不一致=認知的不協和」が生じ続ける構造と表現できるもの。

この現象が現れる結果、生理的な違和感が持続し、恐怖の総量が押し上げられていくわけです。この設計は、偶然の産物ではないと考えられます。

そして後述するように、ゆりやんレトリィバァ監督自身が「緻密な計算と分析をもとに作っていない」と語る一方で、観客体験としては明確な効果を生み出している点こそ、本作の興味深い矛盾でもあります。

【作品の批評】属性が反転するキャラクター配置

(C)K2P 意図的な「安っぽさ」が、怪異の異質さを逆に際立たせる情報不一致の瞬間。

物語に登場するモンスター「禍禍女」という存在は、都市伝説的な怪異として非常に分かりやすい入口を用意しているといえます。この怪異の存在は、観客に「ホラー映画を観ている」という安心感すら与えるかもしれません。

ところが本作は、その分かりやすさをあっという間に裏切ってしまいます

特に印象的なのが、キャラクター配置における属性の反転構造にあります。

視覚的に最もグロテスクで異形な存在である「禍禍女」は、内面においては意外なほど真摯で、どこか愛らしさすら感じさせます。

一方で、社会的に「正しく」「美しく」見える側の女性たちは、物語が進むにつれて、内面のドロドロとした醜さを露わにしていきます。

(C)K2P 「社会的正しさ」の仮面の下で、静かに純度を増していく内面的な汚濁。

この「外見的印象と内面的性質の逆相関」構図は、観客の倫理的な判断基準を静かに揺さぶる仕掛けとして機能しているわけです。

そこで本作が提示するのは、怪物と人間の対立ではなく、「どこに本当の醜さが宿るのか」という問いそのものといえます。

一方で斎藤工や田中麗奈といった有名俳優陣が配置されながら、彼らが物語を整理する役割を担わない点も象徴的です。むしろ彼らは、混乱を加速させる装置として機能し、物語の不条理性を際立たせています。

この“使いこなしていない感じ”こそも、本作の異様な統一感の一端を担っているといえるでしょう。


【深掘り考察】個人的経験の「エネルギー変換」

(C)K2P 個人の情念を映像というOutputへ変換した、説明不能なエネルギーの集積。

本作は、ゆりやんレトリィバァ監督の「自身の失恋体験をベースにした復讐劇」であるといわれています。

実際、会見でも監督は映画作りについて「私を振った男たちに後悔させたい」という率直な動機があったことを明かしていますが、同時に完成作を観て「間違っていたのは、自分だった」と気づいたことも語られています。この発言は、本作を理解するうえで非常に重要な内容であるといえます。

この物語における「失恋」というハプニングは、物語を論理的に駆動させるための動機ではなく、創作における燃料(入力値)として機能しているにすぎません。

因果関係の破綻や二転三転する展開は、論理的欠陥ではなくその説明不能なエネルギーを映像として出力した結果と見るべきでしょう。

またゆりやん監督は、映画学校で体系的に学んだわけでも、大量の映画を分析してきたわけでもないと明かしており、その代わりに自身の感覚や衝動、過去に心を動かされた映像体験を信じ、脚本合宿を通じて「どうしたらもっと怖くなるか」を積み上げていったと語られています。

『緻密な計算はない』と断言している一方で脚本の1ページごとに恐怖を上乗せする『スクラップ&ビルド』の工程を経ているわけです。

これは全体の設計図(プロット)よりも各フレームにおける感情の最大化を優先する、ある意味「アジャイルな開発手法」ともいえる工程を踏んでおり、この制作プロセス自体が、本作の既存の映画理論では説明できない独自の強度を生んでいます。

本作は復讐を正当化するような類の映画ではなく、むしろ「復讐」という衝動を「映画という形」に変換したことで、自分自身の認識が揺らぎ変質していく過程そのものを露呈させている、そんなイメージの作品であるといえます。

そのため物語の整合性や明確な答えを論理的に求める観客ほど、物語から置いてけぼりをくらわされる結果になるかもしれません。

つまり物語を理解しようとすると、かえって分からなくなるタイプの映画であるといえるわけです。

(C)K2P 整理や理解を拒絶し、ただ「観測」することを求める衝動の奔流。

会見で監督が現在「執着を手放すためにダンスに打ち込んでいる」と語られたエピソードは象徴的でもあります。

本作に蔓延している得体の知れない熱量は、かつて個人に向けられていた『執着』が、行き場を失い、その末路として映画という媒体に相転移した結果にも見えてきます。

きれいに整理しようとする考えを一度止めてみれば、そこには誰もが心に秘めている、言語化が難しい『ドロドロとした何か』への肯定が、鮮烈な映像体験として存在していることに気づくはずです。

「なんだこれ?」と思いながら見ているうちに、妙な居心地の悪さだけが残る。その不条理なエネルギーは、見るものの内側にある『整理できない領域』に不思議な共鳴をもたらすはず。その感覚を楽しめるかどうかが、本作と観覧側の相性を分ける作品であります。


【次回の公開前レビュー』】

次回は人気ホラーゲームを映像化した注目作『夜勤事件』をレビューします。

日常のすぐそばに潜んでいる“違和感”に着目したその独自のセンスで、若いZ世代を中心に人気を誇る注目のインディーゲーム制作チーム・Chilla’s Artが「原作」のこの物語。

さらに『きさらぎ駅』などをはじめとした都市伝説系ホラーで注目を集める永江二朗監督が作品を手掛けるなど、物語もさることながらその作風、展開に大きな話題が集まっている、要注目のジャパニーズ・ホラー新作であります。

当サイトならではの深堀考察に是非ご期待ください!


English Summary

Review Highlights: “Mag Mag” by Yuriyan Retriever

Energy Conversion: Redefining the film as an “Agile-style” output of personal obsession rather than a logical plot-driven narrative.

Cognitive Dissonance: How the mix of horror and “cheap” humor intensifies physiological unease.

Inversion of Beauty: An analysis of the “inverse correlation” between external appearance and internal morality in the characters.

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