【怖さレベル2:ゾクッ】ふと「ゾクッ」とする場面もありながら、初心者でも大丈夫!
オランダの元女優で映画クリエイターのハリナ・ライン監督とA24のタッグによるスリラー映画『BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』。
物語は、とある山奥の山荘を訪れた若者たちが、興じていたゲームを巡って恐怖の一夜を過ごすというもの。タイトルにある「BODIES BODIES BODIES」とは、欧米で「Murder in the Dark」や「Wink Murder」などと呼ばれる古典的なパーティーゲームのバリエーションの一つで、いわゆる日本の「人狼ゲーム」に似た遊びであり、特に欧米の若者の間で親しまれています。
本作は2023年のインディペンデント・スピリット賞において、この年注目作であった『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』などとともにノミネートされ注目を浴びており、米国で劇場公開され、その年に限定公開された映画の中で2番目に高いオープニング週末の興行収入を記録しました。
ちなみにこの実績がきっかけで、A24 はライン監督の長編デビュー作『インスティンクト』の権利も取得、さらに本作の次作となるニコール・キッドマン主演のスリラー『ベイビーガール』でもタッグを組んでおり、ライン監督とA24 の間に強い絆がうかがえるところであります。
この作品はあなたが想像する、いわゆる「ホラー映画」というものではないかもしれません。しかし注意深くストーリーをたどっていけば、現代を生きる私たちが最も直面している恐怖の形を、ユニークな形で表していることがよくわかるでしょう。
【概要】
人里離れた屋敷でのパーティーを楽しむ若者たちが、あるゲームを始めたことで予想だにしない惨劇に遭遇する様を追ったサスペンス映画。
出演は『コロンビアーナ』『ハンガー・ゲーム』『エブリシング』のアマンドラ・ステンバーグ、『続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』のマリア・バカローバ、『キング・オブ・スタテンアイランド』『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』のピート・デビッドソン、『落下の王国』『グッド・シェパード』『ジョン・デロリアン』『ホビット』シリーズなどのリー・ペイスら。
原題:Bodies Bodies Bodies
監督:ハリナ・ライン
出演:アマンドラ・ステンバーグ、マリア・バカローバ、マイハラ・ヘラルド、チェイス・スイ・ワンダーズ、レイチェル・セノット、リー・ペイス、ピート・デビッドソンほか
【あらすじ】

20代の女性ビーは恋人のソフィーの誘いで、彼女の幼なじみであるデビッドの親が所有する別荘に、余暇を楽しむために訪れます。
そこは山奥にある大きな屋敷。到着するとデビッドに加え、アリス、ジョーダン、エマの3人の友人と、アリスの恋人であるグレッグがいました。
夜に近づくにつれ嵐が接近する山荘。建物の中でパーティーを楽しむ彼らは、くじで決めた「殺人鬼」役が誰かを当てる推理ゲーム「ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ」を開始。しかしいつしかゲームは首謀者のわからない本当の殺人が起こり、事態は最悪の方向へと向かっていくのでした……。
【『BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』の感想・評価】
1.【戦慄分析】 恐怖は「目的」ではなく「手段」
当サイトによる怖さレベル:LV.2(初心者でも大丈夫)

グロテスクなビジュアル/流血:あり(わずか、初心者でも安心して見られる)
音響による不快感・不協和音:あり(中)
演出分析:「恐怖演出」を捻じ曲げ見るものを“思考”に向かわせる

本作は、序盤でホラーやサスペンスの期待感を煽りつつ、徐々にその「怖さ」が意図的に捻じ曲げられていく展開が特徴的です。
ジャンプスケアや不穏な雰囲気、登場人物の不安感が高まっていく寸前で、物語は予想外の方向へと進んでいきます。そのたびに観客は「ホラー映画」としての期待を抱きつつも、物語が進むごとに「どこへ行くんだ?」という疑問を感じることになります。
結局、ジャンプスケアが予期せぬ形で外され、グロシーンもギリギリで画角外に収められ、さらにはコミカルな展開が入ることで、一筋縄ではいかない作品に仕上がっています。
特にラストシーンでは、最も大きな笑いを誘う瞬間でありながら、そこに「救いのなさ」が感じられます。そこにはディストピア的な現代社会の暗部に対する示唆が込められているとも見えてきます。チャートとしては「救いのなさ」だけが突出した異例の形態。本作の恐怖は、叫び声ではなく『あまりに虚しい静寂』の中にあります。
2.【作品の批評】サスペンスの奥に仕組まれた「違和感」の罠
物語は、「殺人が起きた、犯人は誰か?」という典型的なサスペンスの枠組みで始まりますが、次第にそのアプローチが不自然に感じられます。
実際には、「誰が殺したか?」という疑問から、物語は「なぜ彼らは死ななければならなかったのか?」という問いに変わっていきます。この違和感こそが、作品をただのサスペンス映画にとどまらせず、深いテーマを探るように観客を誘引します。
作品を手掛けたハリナ・ライン監督は、自身の作品の特徴として「長回し」が多いことを挙げています。本作にも見られるその傾向は、作品に漂う違和感をさらに膨らませているようにも感じられます。
全体的に取り入れられたその長回しは、一見緊張感もありながら、くどいとも感じられるかもしれません。しかし物語の結末を迎える際に、その執拗なほどの長い演出が「SNSで他人の人生を重箱の隅をつつくように解剖する現代人の“醜悪な執着心”」を暴いていたのだと気づかされ、しっかりとその意図を感じ取ることができることでしょう。
また、この映画が描くのは「犯人は誰か?」という従来の、いわゆる「フーダニット(Whodunit)」と呼ばれる形式を利用した、「SNSというシステムそのもの」や「未熟な自意識の歪み」という皮肉的なテーマです。
SNSが作り上げた疑心暗鬼や、自己肯定感を保つための虚飾が、登場人物たちを追い詰め、最終的には笑いに変わる瞬間が訪れます。
この反転劇は観客にとっては賛否が分かれるところですが、その大胆さと意図的な演出が、この映画のユニークさを際立たせています。
特にエンディングでは、緊迫した空気感から一転して「あれ、これってコメディ?」という意外な展開が待ち受けています。その結末には「そうきたか!?」と爽快感をおぼえる人も「つまらない」と思う人もいるかもしれません。人によって賛否が湧くことが、その瞬間に想像されるものとなっています。
その意味ではまさしく「議論を呼ぶ」ことが見えてくるようなエンディングであるともいえます。そしてこの複雑さを意図的に作っているところに、どこか「A24の作品らしいな」という空気感も見え、作品の質の高さが感じられるものとなっています。
3.【深掘り考察】サスペンスの中で「現代」を描く
3.1 Z世代と現代的なボーダレス感

本作は、現代的な「ボーダレス感」を色濃く反映した作品です。登場人物たちは、従来の「連続殺人鬼」サスペンス、またはホラー映画で描かれるような「男女のカップル」とその友人たちという定番ではなく、同性同士の関係や、曖昧で混沌とした友情関係を通じて物語が進行します。
この点で、今の若者たちのコミュニティーにおける緊張や不安を表現しており、その新しさが際立っています。
特にレイチェル・セノットが演じるキャラクターは、その現代的なボーダレス感を象徴しています。彼女が演じる役柄は「常に虚飾とパニックに包まれた女性」であり、今作でもその演技が作品に深みを与えています。
彼女が主演を務める映画『Shiva Baby シヴァ・ベイビー』(2026年2月27日 日本公開)では、「シュガーベイビー」としての複雑な立場にある若い女性を演じ、その内面の葛藤を見事に表現しています。
それを踏まえて見れば、『Shiva Baby シヴァ・ベイビー』が「家庭・親族という閉鎖空間」での地獄にいる女性、本作は「友人・SNSという偽りの連帯」の中での地獄にいる女性という格好。
本作に登場する女優陣は彼女の現代的なボーダレス感、Z世代感を基準としているようにも見え、どこか「カップルを取り巻く」というよりは「今の若者のコミュニティー」に起きた緊張のハプニング、という雰囲気で「現代」を奇抜なアイデアによって描いた作品であるといえるでしょう。
3.2 SNSの全能感と死の現実

本作では、SNSが持つ「全能感」が、いかにして現実の死と対峙することになるのかが描かれています。
登場人物たちはグループチャットやSNSで強がりながらも、どこかで恐れや不安を隠しきれずにいます。
物語では「こっちのグループチャットでは評判のいい子、人気のある子」が、実は「裏でこんなことをいわれた」「こんなことをしたという噂があるらしい」という知られざる話が、「人を殺した」という疑いの中で暴露されていきます。
この部分に関しては、SNSのない時代における人間関係と比較すると「まるで重箱の隅をつつくような話だな」「そんな細かい話で人を疑うなんて…」といちいち突っ込みたくなるような感覚をおぼえます。

その感覚こそが「今という時代」に生きる世代とのギャップであり、ここにSNS自体やSNS社会の怖さがある、ということを示しているようでもあります。SNSは、彼らが持つ「アイデンティティ」を支える一方で、それが崩れるときに彼らは完全に無防備な状態に陥ります。
面白いのは「疑われる」「真実を知る」といったときの彼らの表情は、かなりの恐れを見せているにも関わらず、スマホを片手にみな「強がっている」ように見えること。
これはまるで時代劇「水戸黄門」における印籠を、一般人が持ったかのよう。そこには「これがあるから、まだ自分は立っていられる、自我を保っていられる」と思いながら、あまりも釣り合わない自分の弱さに震えているような心理が見て取れます。
一方で「充電切れ」や「電波が届かない場所」といった設定は「SNSというアイデンティティを奪われた現代人の無防備さ」のような光景も現実と重なって見えてきます。そこにはスマホは「武器」であり「盾」、同時に自分を定義する「鏡」、というさまざまなメタファーが感じられるわけです。
3.3 SNSという地獄において「ログインしていない者」は“異物”でしかない
またSNSに絡まない登場人物が、いかにも無防備に排除されていく点にも興味深い光景が見られます。
ここでは登場人物の中でも数少ない「男性」たち。彼らはなぜかあっけない死に方をするのですが、これはSNSに関与していないために「現代的な地獄」において排除される「異物」として描かれている、とも見ることができます。
こうした点からは、SNS社会におけるギャップや排除のメカニズムが鋭く描かれており、物語全体に対するメタ的な視点が提供している印象をおぼえます。
最終的に、エンディングで生き残ったキャラクターたちが目にする「SNSの痕跡」が、彼らのこれまでの行動や価値観を根底から覆す瞬間が訪れます。この転換が、作品における重要な論点を浮き彫りにし、視覚的・心理的なインパクトを与えるのです。
【次回の深掘り考察】
次回の深掘り考察は『オールド・ボーイ』をお届けします。
『BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』はSNS社会の脆弱性を描いた作品でしたが、実は『噂話』の恐怖を描いた韓国の傑作サスペンス『オールド・ボーイ』と、意外な共通点があることに気づきましたか……?
その真相は、次回の旧作レビューで明らかになります。
引き続き当サイトならではの独自考察にご期待ください!
English Summary
Title: Bodies Bodies Bodies Review: The Tragic Comedy of a Hyper-Connected Generation.
Summary:
In this A24 slasher satire, director Halina Reijn deconstructs the traditional “Whodunnit” to reveal a chilling portrait of Gen Z anxiety. The true horror isn’t a masked killer, but the fragile identities built on social media and group chats. When the Wi-Fi dies and the suspicion rises, their smartphones—once shields of self-worth—become the very weapons that destroy them. A biting critique of our digital age where “truth” is as unstable as a dying battery.


コメントを残す